滝大雅

24歳 日記を書いています。

野生の日記

六時半起床、小島が起きないので寝る。十二時くらいにお互いに起きる、肌寒いね、薄暗い部屋、キャッチボールをしにいこうと御所に。別の大学生二人、風で舞う、花粉らしきもの、見える粉、最近見た唯一の映画「舞妓Haaaan!!!!」京都について、舞妓さんについて。

キャッチボール後、ダンゴムシも丸くなる、二人の大学生は注意されて帰る、あり余るグラウンド、風が大きな木を揺らす、右から吹く風、二人にとっては向かい風、俺の投球においては追い風で、でも上がらない球速。

銭湯に、サウナセット三回、ふと最近の問題を解決、一言、「俺は超監督だ!!」視界が広がる、買い物、赤松からの電話、話す。

雑貨屋へ、雪駄が欲しいと、雪駄と着物とモンペを二千円でもらう、また行こう、変な空間、そこにいた一人のおばさん、パリがどうとか、フランス語、良い繋がり、家で制作、色んな制作、ここから制作、生の制作!!

 

二〇二〇年二月二十一日

 

 

 

本棚は生き物である

今週のお題「本棚の中身」

 

私は定期的に本棚の写真を撮ってる。本棚が違う様相になっているなと思う時があるからだ。

今回は5年分くらいの本棚の流れを思い返してみる。

 

私は大学生の頃、学生寮に住んでいて大きな本棚が元から部屋にあった。

本を買う習慣も借りる習慣もなく、本=勉強のイメージが強くて、あまり読まなかった。実家にも本はほとんどなかった。

この頃は主に漫画だった。

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私は映画サークルに入って、その影響で今まで読んでこなかった漫画を読むようになった。漫画の流れに変化があった。

めぞん一刻』『ザ・ワールド・イズ・マイン』などなどである。


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さらに漫画は増えていき、メルカリで金もないのに漫画を揃えたりしていた。

『マインドゲーム』『コブラ』『超人ロック』『鉄コン筋クリート』『デビルマン』などなどである。

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で、その時くらいから本も読み出すようになる。キッカケだと思うのが、友人が誕生日祝いで母親から貰った千葉雅也の『勉強の哲学』を借りて読んでみたことと、私の誕生日に読書量が半端ない先輩に山形浩生の『新教養主義宣言』を頂いて読んだこと。さらに、その本は書評をまとめたもので、その中のサミュエル・R.ディレイニーの『エンパイアスター』というSF小説に興味を持ち、先輩にそのことを伝えると貸してくれた。後から『エンパイアスター』を持っていることの凄みに気づくのだけど。後から気づくこと次第が自分が『エンパイアスター』の主人公のコメット・ジョーみたいで笑ってしまう。今もそうだけど、ジョーに自分を重ねていた部分がある。

 

そこから手当たり次第、興味を引いたものを買ったり借りたりしているうちに本棚から溢れた。

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積読が始まった。とにかく積まれていった。この時期は哲学や人類学など学問領域の本を読み始めた。知らない言葉やわからない事もあるけど、とにかく面白かった。頭の中に中身のない巨大な箱が出来る感じだった。

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卒業後、私は一軒家に居候することになり、新しい本棚も備えて何か安定した状態に入った。固定的になった。
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そこから一年後に上京することになる、その間に色々あった。住むのはドミトリーで本棚を持っていけない。一軒家から今度は2段ベットだけの生活になる。だから一旦、本棚は空っぽになった。本棚はジモティーで売った。
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そして、いま、また新しく、別の生き方で、小さい何かが生まれつつある。今回はどうやら、本棚という型がなく、先に本があるようだ。楽しみだ。

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本は競争じみた所もある。何を読んでるか、どこまで理解があるか、ちゃんと読めよと頭の中で鳴り響いてる。その面も重要だと思う。けど、ちゃんと読むことに囚われ過ぎると生き物にならない気がする。この蠢く本棚がどうなるかは知らない、けど蠢いてるのならそれでいいじゃないかと今はとりあえず思っている。で、これを読んだ人の本棚が少し蠢きはじめたら面白いなと思う。

 

 

50万円を買った?

今週のお題「人生で一番高い買い物」

当時、私は専門学校に行きたかったがお金がなかった、そんな話をずっと仲の良い友人にしていた。すると友人がお金を貸そうか?と言ってきた。いくら貸してくれるの?と聞くと50万と言った、それは専門学校の一年分の金額である。貸してくれと頼んだ。次の日に50万円を現金で受け取った。50万円を得たんだ、一銭も払わずに。これは単なる借金なんだけど、その時に一銭も払ってないのに得ている状態ってあるよなと思った。

一銭も払わないであるものを想像してみて欲しい、家族、恋人、大地、海、朝日、鳥のさえずり、身体、声、ほかにも沢山ある気がする、それらが最も高い買い物だとしたら?高い低いの基準がひっくり返る。最も安い買い物が最も高い買い物かもしれない。この基準だと、私の人生で一番高い買い物は物でもなく、50万円でもなく、専門学校の一年間でもなく、その友人であると思った。